17歳9日と言う年齢でJリーグデビューした小松原学さん。

出典:pass.bz
当時稲本潤一さんが持っていた最年少デビュー記録を塗り替え話題となりました。
小松原さんは各世代の日本代表に招集されるなどその天才的なプレーが評価され、将来も期待されていました。
しかしながらその名前を知っている人はそう多くはないのではないでしょうか。
それもそう、サッカー選手としてはあまりにも早すぎる22歳という年齢で引退しております。
何故こんなにも早く引退していまったのか、そして現在は整骨院をしているとされていますが、今の仕事や年収など気になるところです。
ここでは消えた天才となってしまった小松原学さんについてwiki風にまとめてみました。
■wiki風プロフ

出典:j-ob.or.jp/
*生年月日:1981年4月2日 38歳(2019年現在)
*血液型:B
*出身地:群馬県
*身長:182cm
*体重:70kg
*ポジション:FW
*利き足:右
・所属クラブ
ベルマーレ平塚ユース(平塚学園高校)
1998年-2001年 ベルマーレ平塚/湘南ベルマーレ
2002年-2003年 ヴァンフォーレ甲府
2003年 FC湘南大磯
2004年-2005年 群馬FCホリコシ
2011年-2013年 渋川FCハヤブサイレブン
2016年 ブランデュー弘前F
出典:ja.wikipedia.org/

出典:gohagen.jp
1998年4月に高校生として当時最年少デビューを果たしますが、プロとして推定1,000万もの年俸を手にし調子に乗っていたと語っています。
自信過剰で気に入らない相手にはラフプレーし、生意気な若造だったという。
ベルマーレ時代は中田英寿さんや呂比須ワグナーさんといった日本を代表する選手と一緒のチームでプレーしていますね。
・代表歴
U-16日本代表(1996年)
U-18日本代表(1997年)
U-19日本代表(1998年)
出典:ja.wikipedia.org/
代表ではひとつ上のカテゴリに飛び級で招集されるなど当時の天才ぶりがわかります。
小野伸二さんや稲本潤一さんら黄金世代の一員として代表入りし、将来を期待されていました。
・引退
実力は確かで天才的なプレーでチームに貢献出来る力があったものの、度重なる怪我に泣かされています。
怪我で出場機会を失い、群馬FCホリコシ時代にご自身のホームページにて引退をお知らせしています。
・現在の仕事 整骨院
サッカー選手引退後は6年間しっかりと勉強し、柔道整復師やあん摩マッサージ指圧師の資格を取得して群馬県に整骨院を開業しています。
ご自身の怪我の経験もありますし、選手目線で接することができているのではないでしょうか。
サッカー選手との繋がりもあり、あの前園さんも利用しているようですね。

出典:lineblog.me
・年収
高校生でJリーグデビューしたときは年俸1000万円だったと語っており、整骨員での年収は現役当時を超えていると語っています。
しかし運営している少年サッカークラブに使っているためほとんど手元には残らないようですね。
こ自身の経験を活かしながら子供たちを指導していく姿には力強さを感じますすよね。
最後まで読んでいただきありがごうとざいます。
第二の人生で活躍している小松原学さん。
今は人としても成長し感謝の心を持って地域の為に頑張ると語っています。
若くして挫折を経験したからこそ芽生えた感情かもしれませんね。
【消えた天才】出演
2019年8月25日放送の消えた天才に「サッカー稲本潤一が衝撃受けた天才が突然消えた…元日本代表・中澤佑二が真相直撃」として出演されていました。
他にも消えた天才として
・14歳で日本選手権優勝し将来有望にもかかわらず高校卒業で引退した大畠佑紀さん
などの記事も書いていますので、興味あればご覧下さい。
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