世間を騒がせたオリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の会長に、橋本聖子氏が選ばれました。
川淵三郎氏や山下泰裕氏などが候補に挙がり情報が錯そうしましたが、最終的には前森喜朗会長を父親とも慕う橋本聖子氏に決まりましたね。
いろいろ騒がれていますが、橋本聖子氏は若い頃オリンピックに7回も出場しておりメダルも獲得している凄い人なんです。

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そんな過去の経歴もあり「オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の会長」としては適任とも言えるのかもしれません。
そこで今回は橋本聖子氏の政治家になる前の若い頃を画像も含めて紹介いたします。
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橋本聖子の若い頃の経歴~誕生からオリンピック出場前~
橋本聖子氏は生まれた時からオリンピックと関わる運命だったと言っても過言ではないほど、オリンピックと縁があります。
まず、橋本聖子氏は1964年生まれ(2021年2月現在56歳)になりますが、この年はアジアで初めて開催されたオリンピック、東京オリンピックが開催されています。
名前の「聖子」もオリンピックの聖火にちなんで名づけられたとされており、オリンピックと縁深い誕生になっています。
父親も
「何の種目でもいいからオリンピック選手になれ。」
と育てており、オリンピック選手になるべくしてなったと言ってもいいのかもしれませんね。
北海道生まれの橋本聖子氏は、そんな父親の影響で3歳からスケート、小学2年生からスピードスケートを始めており中学で全日本選手権優勝、高校進学後も優勝を続けています。

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実績だけを見ると輝かしいものですが、小学3年生の頃に生死を彷徨うような腎臓病を患っており競技から離れている時期があります。
それは高校3年生の頃にもあり、B型肝炎やストレス性の呼吸筋不全症などにも罹ってしまい、病気とも戦いながらの競技生活を努力してきています。
ご本人は、病気があったからこそ、健康への憧れ、オリンピックへの想いも強くなったと話しており、逆境を跳ね変えす原動力にもなったようです。
これだけ強い気持ちがあるからこそ、後にオリンピックに7回も出場するという偉業を成し遂げることができているのかもしれません。
1983年に高校卒業後、スケートで有名な富士急行株式会社へ入社しています。
橋本聖子の若い頃の経歴~オリンピック~
橋本聖子氏は冬季はスケート、夏季は自転車で合計7回もオリンピックに出場しています。
夏・冬どちらも出場するという日本人初の快挙を成し遂げています。
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メダルは1992年のアルベールビル冬季オリンピック、スピードスケート1500メートルの銅メダルのみですが、それでもこれだけ続けて出場できることが凄すぎます。

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中でも目を見張るのが出場種目の多さです。
スピードスケートは500メートルから5000メートルまでこなしています。
1988年のカルガリー冬季オリンピックでは500メートルから5000メートルまで5種目に出場しており、メダル獲得こそはないものの、全ての種目で日本記録を更新し8位以内の入賞しています。

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オリンピック | 種目 | 成績 |
1984年サラエボ冬季 | 500メートル | 11位 |
1000メートル | 12位 | |
1500メートル | 15位 | |
3000メートル | 19位 | |
1988年カルガリー冬季 | 500メートル | 5位 |
1000メートル | 5位 | |
1500メートル | 6位 | |
3000メートル | 7位 | |
5000メートル | 6位 | |
1988年ソウル夏季 | スプリント | 予選落ち |
1992年アルベールビル | 500メートル | 12位 |
1000メートル | 5位 | |
1500メートル | 銅メダル | |
3000メートル | 12位 | |
5000メートル | 9位 | |
1992年バルセロナ夏季 | 3000メートル個人追い抜き | 11位 |
1994年リレハンメル冬季 | 1000メートル | 21位 |
1500メートル | 9位 | |
3000メートル | 6位 | |
5000メートル | 8位 | |
1996年アトランタ夏季 | 3000メートル個人追い | 12位 |
24000メートルポイントレース | 9位 |
女子スピードスケートのメダリストとして記憶に新しい小平奈緒選手は500メートルで金、1000メートルで銀メダルを獲得していますが、3000メートル以上の記録は確認できませんでした。
やはりそれだけ短い距離に集中して取り組んでいるということかと思いますし、そう考えるとこれだけ幅広い種目で日本のトップにいた橋本聖子氏の凄さが改めて際立ちます。

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まとめ
火中の栗を拾うとも表現されている今回のオリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長の責務ですが、オリンピックとこれだけ縁のある橋本聖子氏ならやり遂げてくれるように思えてきますね。
選手として、政治家として、両方の気持ちがわかる数少ない人物と言ってもいいのではないでしょうか。
世界的に状況も落ち着いていない国もありますし、難しい問題は山積していますが、東京オリンピックを良い方向に導いて欲しいものです。
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